授乳お役立ちコミュニティNPO法人ラ・レーチェ・リーグ日本

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私もこんなことで悩んでいました

大阪府 リーダー あかお

ラ・レーチェ・リーグ豊中

私には3人の子どもがいます。1人目、2人目の時は「私のおっぱい、ちゃんと出ているのかしら?」と心配でたまらず、ずっと母乳不足のように感じていました。とにかく毎日精一杯でした。いつも奥歯を食いしばって、気がつくと歯がじ~んとしびれていたり、目のあたりがピクピクとして止まらなかったり、笑うことも忘れてがんばり続けていました。

ラ・レーチェ・リーグに出会い、楽しそうに母乳育児を続けているお母さんたちを見て、どうしてそんなふうにできるのだろう、私もそうなりたい!と思い、毎月のつどいに参加し始めました。

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そして、2人目の子はリーダーや会員の皆さんに励ましてもらって、途中からミルクの必要がなくなり、卒乳の頃には、肩の力が抜けてずいぶん楽になっているのがわかりました。
こんな私でも、ラ・レーチェ・リーグからの情報を取り入れれば、最初から楽しく母乳育児ができるのだろうか? 母乳不足感で悩むことはないのだろうか? 試してみたい! 3人目、産みたい!そう思って産んだのが写真の娘です。

ラ・レーチェ・リーグを知ってからの母乳育児は、何も思いわずらうことなく、最初から最後まで楽しく幸せに過ごせました。これはラ・レーチェ・リーグに感謝しかない、今度はこの気持ちを他のお母さんたちに伝えたい、そう思ってリーダーに志願しました。

写真の娘も、今は1児の母となりました。
「ラ・レーチェ・リーグはすごいね。お母さんはとても大切な活動をしているね。」と言ってくれています。
(2023年)

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兵庫県 リーダー かくむ

ラ・レーチェ・リーグ神戸

1980年に第1子を出産した私は、母乳で赤ちゃんを育てたいと思っていました。出産後すぐ息子を新生児室へ見に行くと、口からチューブを入れられ乳児用ミルクを飲まされている様子をガラス越しに見て驚き、医師に自分の母乳を飲ませたいと伝え、赤ちゃんを自室に連れてきてもらいました。

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病院では授乳時間は3時間おき、右胸5分左胸5分の授乳で哺乳量も決まっていて、飲ませる前に体重を計り飲ませた後に体重を計り、規定哺乳量の母乳を飲んでいないと、その不足分のミルクを飲ませる規則になっていました。なかなか規定量まで母乳が飲めない息子を抱いて退院。3時間おきに右胸5分左胸5分で哺乳量を計り不足分を人工乳で補いながら、きっと我が子も3時間おきのタイムスケジュールに慣れ私の母乳も十分出るようになると思っていました。しかし1ヵ月経過してもタイムスケジュールに慣れるどころか、授乳後1時間ほどすると泣き出すようになりました。

赤ちゃんの泣き声を聞いた隣人から「赤ちゃん泣いてはるけど、どうしたんえ?」と声がけがありました。私は今までの3時間おきのタイムスケジュールでの授乳していたこと、授乳後1時間もしないうちに泣き出すことを話すと、「赤ちゃんはな、オッパイほしそうにしてたら、時間を気にせんとオッパイ飲ませたらいいんえ」と、ご自分の母乳育児経験を話してくださいました。それ以降時計を見ないで、赤ちゃんがオッパイをほしそうにしたら母乳を飲ませることをしました。

1983年に第2子を妊娠。第1子の産後の母乳開始に違和感を覚えていたので、母乳育児情報がほしいと育児書をいろいろ読みましたが、当時はお母さん向けには母乳育児情報がほとんどありませんでした。そんな時、偶然手にした新聞に「神戸ラ・レーチェ・リーグ」の記事があり、さっそくラ・レーチェ・リーグのつどいに参加しました。母乳育児を経験した沢山のお母さんの経験談を聞いたり、医学的に裏付けされた母乳情報を得ることができ、第2子の娘は産後すぐ母乳育児を開始することができました。
(2023年)

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奈良県 リーダー しんがい

ラ・レーチェ・リーグ奈良

私は、おっぱいがはらないから、「出ないんじゃないか」「足りない?」「体重増えない?」と悩んでいました。いつも、母子手帳の体重増加のグラフとにらめっこでした。
(2023年)

埼玉県 リーダー なかの

ラ・レーチェ・リーグ南栗橋

授乳?
「たぶん、大丈夫。私も母乳で育ったし、やり方はよくわからないけど、お医者さんや助産師さんの言うことをよく聞いて、教えられたとおりにすればできるよ、きっと」と、とにかく、はじめての出産がこわくて、出産前に母乳育児に関する勉強なんてこわくてできなかったし、ましてやその後の育児のことまで考えも及ばなかった私は、何の準備もしないまま、出産。

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結果、母乳をうまく飲ませてあげられず、お医者さんや助産師さんの教えのままに、乳児用ミルクを足し、しだいにミルクに頼るように……。
「あれ?そのうち出るようになるって言ってたのに、 なんか、だんだん出なくなってない? ちゃんと言われたとおりにやってるよ。私何か間違ってる? どうしたらよかったんだろう? 勉強していなかった私のせいで、この子の栄養はどうなっちゃうの? 退院しちゃったし、このあとはだれにも聞けないじゃん、どうすればいいの???」 と、不安ばかりが募り、きちんと現実に向き合って準備をしなかった自分を責めていました。
「何とかしなきゃいけない」と、手元にあった情報から調べ、巡り巡ってたどり着いたのがラ・レーチェ・リーグでした。

第1子はひんぱんに起きる子で、私から離れると泣くので1日中抱っこ、外出するのもヘトヘト、やっとの思いでした。 とにかく「混合栄養から母乳だけにするにはどうしたらいいの?」「今の私のやり方で大丈夫なの?」の答えが知りたくて、必死で集いに出かけました。 いざ集いに参加してみると、とても和やかな雰囲気で、大勢の参加者(20人くらいでしたか)がいたにもかかわらず、リーダーがまずはじめに私の問題を取り上げ、思いを受け止めてくれて、「同じ経験をされたお母さんはいますか?」と聞いてくれました。そこには私と同じ経験を持つお母さんが複数いらして、体験したことを順に話し、励ましてくれました。
「よかった、まだ手遅れじゃない、ほかにもいたよ私と同じ人!このままがんばればいいんだー」と、これからへの不安は消えないながらも、温かい雰囲気の中で、私を受け入れ、共感し、励ましてもらったことでホッとしたのと、自分と同じ思いをしていた人が、ほかにもいたことを知って、私だけじゃなかったんだ!と安心したし、がんばれる自信が持てたことはすごくうれしかったです。あのときの漠然とした不安、先の見えない苦しさ、共感してもらってホッとした思い、などなどエトセトラエトセトラ……を思い返すと、今でも涙が出てきます。

集いに何度か通ってみると、母乳育児の的確な情報が、情報を必要としているお母さんに、すぐに届いていないことがわかってきました。私と同じ経験をした人も、多く参加してこられましたし、情報が欲しいと思って勉強していても、意外に適切な情報にはなかなか行き着いていないんだなあ、と。
母乳育児をしてみたいと思っているお母さんには、科学的根拠に基づいた的確な情報をもっと気軽に知ってほしい、また、同じ思いをしているお母さんたちどうしが励まし合い、情報交換する場があることを多くの人に知ってほしい、私にも何かできることがあったら……!そんな思いでリーダーになりました。

母乳育児を楽しめるように、かけがえのない時間をゆったりと過ごせるように、少しでもお役に立てたらと思っています。
(2020年)

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アメリカ ワシントン州 リーダー みつおか

ラ・レーチェ・リーグ イーストサイド・ジャパニーズ

34歳の時、2歳の娘と生後2か月の息子を連れてラ・レーチェ・リーグのつどいに参加して、あるリーダーの一言で救われました。
2人の子育てというのは想像以上に過酷でした。
赤ちゃんの世話をしているときに限って「抱っこ」「抱っこ」、電話していると赤ちゃんにかみつこうとしたり、わざとカーペットの上にうんちしちゃったり。夫が帰宅してから、ゆっくりトイレに入った時の安堵感は今でも忘れません。
こういうことが24時間営業で続くと、上の子に対して「かわいくない」というあるまじき感情が生まれてきていました。
それを押し殺そうとすると、その感情の原因となっている上の子にさらにつらく当たるという悪循環です。

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それまで身に付けたどんなスキルも有効に働かないという無力感。
そのくせ夜になって上の子の寝顔をみると、何であんなに叱ったのか、と反省し、ついに自己嫌悪に陥り、自分に「だめな母親」というレッテルをはっていました。
そんな折、ラ・レーチェ・リーグというアメリカでできた母親のサポートグループのつどいに参加した際、4人の男の子の母親だというリーダーが「いずみ、母親にとって下のほうがかわいいのは、弱い方を守ろうとする生物学的本能なんですって」と言いました。
ナニ? 本能? その時、目からうろこが落ちた気がしました。理性とか愛情とかとは別次元の本能! 私から、自己嫌悪の重圧がすっと除かれました。
このリーダーはさらに続けて「いずみ、考えても見て。ダンナがある日いきなり女を連れてきて毎日、目の前で仲良くしていたらどう思う?上の子にとって下の子の出現はそのくらいのショックよ」
そうかー上の子の嫉妬がすさまじいというのは、それだけわたしとの絆が強かったということか。下の子をかばう本能は、自然なことで、それで自分を責めることはないんだーと納得したら、上の子に余裕をもって接することができるようになっていました。
(2023年)

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東京都 リーダー ほんごう

ラ・レーチェ・リーグ オンライン東京
ラ・レーチェ・リーグ豊島


1人目の妊娠中に故・山内逸郎先生の論文『新生児に安全なのは母乳だけ』を読んでいた私は、母乳だけで育てたいと願っていました。でもそのために病院を選ぶことの大切さまでは知りませんでした。初乳を早くあげたいと願い出た私は看護師に諭されます。「生まれたばかりの赤ちゃんはね、おっぱいがうまく飲めないの。まずは哺乳びんでミルクをあげて飲めるかどうかをみてからでないと母乳をあげられません。お母さんもうまく飲ませられないから、赤ちゃんもお母さんもいらいらするだけだからね」「いらいらなんてしません」と口答えした私はすごい剣幕でどなりつけられます。「するったら、するの! とにかくミルクをまず飲めるようになってからでないと母乳はあげられません!」何もわかっていない母親のわがままだという扱いをされ、いつかきちんと医療者を説得できる人間になりたい、と切に思いました。生後24時間たって哺乳びんでミルクを飲ませられた息子は、すべてを吐いてしまったといいます。息子だってほしかったのは私のおっぱいに決まっています。

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母子別室で3時間ごとに授乳室に行かないと我が子に会えない病院での入院生活はとても辛いものでした。また毎回の授乳量も決められていて、前後で体重を測って乳首を清浄綿で拭いて飲ませ、その規定量を飲めていない場合はミルクを与えるシステムでした。清浄綿で拭いたせいでガサガサになって痛い乳首。定時刻に会いに行っても、ちょうど眠ってしまってなかなかおっぱいを飲んでくれない息子。抱き方や吸わせ方も教えてもらえない。ミルクをあげたくないなら母乳をしぼるしかない、と思った私はひたすら手で自己流の搾乳をしましたが、それがまた分泌過多を生み、乳房がカンカンに張って痛くてしかたがありませんでした。
退院後、乳房マッサージにでかけ、そこで食事制限や時間を決めた授乳などのさまざまなアドバイスを受けました。ふつうは5分5分の授乳だけど、私の場合は分泌がいいので3分7分にしなさいと言われ、授乳終了後2時間半で起こしてでも飲ませるように言われ、いつも時計を見ての授乳。授乳の後の「後しぼり」。厳格な食事制限。それらを忠実に守ったにもかかわらず、次から次へとトラブルが起きます。乳管閉塞、乳腺炎、分泌過多、鵞口瘡、乳頭亀裂、息子のアレルギー…。自分のおっぱいが悪いせいだ、と、食べたら悪いと本に書かれているものは何も食べられなくなりました。「おっぱいや赤ちゃんにとって悪いものを摂取することがこわい」という思考回路は思春期の拒食症の心理状態とよく似ていたかもしれません。

専門家の指導通りに、息子が1歳4か月になって歩けるようになって「断乳」。泣き続け一切の飲食物をとろうとせず、脱水症状を起こして夜間診療で点滴までした息子を見て、私はひどく後悔し、母乳復帰をさまざまな人に相談しましたが、「辛いのは親だけ。子どものためにやめたほうがいい」と異口同音にアドバイスされてあきらめました。私は「断乳」後、たががはずれたように過食し、2週間で12キロ体重が増えました。
自分の声「こうしたい」「こうしてあげたい」に耳を傾けるのではなく、周りの「こうしてはいけない」「こうしなければならない」というアドバイスに振り回された結果でした。
数ヵ月後に偶然、ラ・レーチェ・リーグの本『母乳 このすばらしい出発』にであいます。第2子に恵まれたら今度こそこの本に書かれているような自然な母乳育児を続けようと誓いました。そして第2子を妊娠。夫の駐在でアメリカに引っ越し、最初からラ・レーチェ・リーグの支援のもとに母乳育児を楽しみ始めたのです。子どもの欲しがるときに欲しがるだけ授乳をし、食べたいものを食べ、乳房にしこりができてもラ・レーチェ・リーグで教わったセルフケアで乗り越え、私はだんだん自信を取り戻し、自分の母親としての本能を信じられるようになっていきました。

専門家や本からさまざまな情報が入ってくる中で、自分の心の声(本能)を信じていくことは、ある意味自分だけではとてもむずかしいことです。私の2人目の育児には「あなた自身の心の声に耳を傾けて」というラ・レーチェ・リーグの後押しがありました。また、1人目の母乳育児に関しても、ラ・レーチェ・リーグのリーダーは私を認めてくれました。「16ヵ月も母乳をあげたなんてすばらしい。アメリカだと6ヵ月でやめる人も多いのに」と。そうか、自分はあの当時の少ない情報と支援の中で精いっぱいのことをしたんだ、とエンパワーされました。そして人をエンパワーすることの大切さをも学んでいきます。
適切な情報にであえず、医療者不信から、不適切で極端な情報にのめりこむママも多いかもしれません。暗中模索で苦しい育児をしているママたちに、なんとかして安心で楽しい母乳育児を伝えたい、支援する側になりたいと思い、アメリカでリーダーに志願し、さまざまな勉強をして1年後に認定されました。その後、アメリカで日本語のLLLのつどいを開くようになり、日本に帰国後も地域であるいはオンラインで活動を続けています。私はリーダーに認定された後、別の資格も取得し、いろいろなところで発言する機会も増えました。でも、やはり私の原点は、辛かった子育てのトンネルを抜けて「自分を信じなさい」とエンパワーしてくれたラ・レーチェ・リーグなのです。

【補足】人類が本能で自然にやってきたことの多くには根拠があり、意に反した医療介入にこそきちんとした科学的根拠が必要だという考えかたや、コミュニケーションを大切にする患者中心主義が、ここ四半世紀の間に日本の保健医療界にも徐々に広がり、母乳育児支援の姿も変わりつつあります。一方で、30年前とほとんど変わらないような辛い経験をしているママたち、本当は悪くないのに自分を責めている多くのママたちに接します。そんなとき、以前の私を見ているようで胸が痛みます。
1人目のときのことも、当時手に入るだけの情報と少ない支援の中で、精いっぱい最善と思える母乳育児をしたのだと思え、胸を張って息子にたくさん母乳を飲ませて育てたのだと言えるようになった私は、医療者への見方も変わっていきます。かつて私に初乳を許可しなかった医療者は母乳育児の情報を知らなかっただけではなく、温かく自分を受けとめてくれる支援も受けたことがなかったため、あのようなコミュニケーションしかできなかったのだと思えるようになりました。もともとリーダーになるためのトレーニングの一部として行われていた、ラ・レーチェ・リーグのコミュニケーションスキル・トレーニング(CSTを、できるだけ多くの専門家の皆様にも知っていただければと願っています。
(2023年)

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「つどい」に行ってリーダーに会おう!

それぞれの親子が自分たちに合うことを選ぶ。それをお手伝いするのが私たちの願いです。 つどいでは、自身も授乳の経験のあるリーダーが、皆さんの参加をお待ちしています。