授乳お役立ちコミュニティNPO法人ラ・レーチェ・リーグ日本

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授乳のヒント

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経験談

お母さんへのメッセージ

岡山県 おきもとさん

先日、第1子である息子が1歳になりました。
私にとってこの1年はいつも母乳育児とともにあったとしみじみ思い返します。

母乳が足りているかわからずいつも不安だった新生児期。
添え乳ができるようになって夜間授乳がぐんと楽になった生後1ヵ月。
母乳だけでぷくぷくと太っていく姿に人体の不思議を感じた生後3ヵ月。
生まれて初めての風邪で母乳のありがたさを実感した生後7ヵ月。
離乳食の進みが悪く「断乳すれば食べるのかな…」と悩んだ生後9ヵ月。
器用になった手でおっぱいを引っ張り「へへっ」といたずらっぽく笑う顔に思わず苦笑した生後10ヵ月。
保育園から帰ると喉を鳴らしながら一生懸命おっぱいを飲む姿に仕事の疲れも癒やされた1歳。

最初はくわえさせるだけで精一杯だった授乳の時間はいつしか生活の一部になり、今では大切なリラックスタイムになりました。

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私をお母さんにしてくれてありがとう。
私のおっぱいを飲んでくれてありがとう。
おっぱいを通じて息子と育んだ絆の尊さを思うと涙がにじみます。

乳児用ミルクのめざましい発展により、母乳でなければ赤ちゃんが育たない時代は終わりました。
しかしその一方で、母乳育児はますます難しくなっていくのではないかと危機感を覚えることもあります。
どうにかして赤ちゃんに母乳をあげたいと願うお母さんの切実な気持ちを「そんなに母乳にこだわらなくても」と一蹴してしまうことは、時としてお母さんの心を深く傷つけます。

母乳で育てたいと願うことは、自己満足なのでしょうか?
母乳で育てることを諦めないお母さんは、意地を張っているのでしょうか?
私は決してそうではないと思います。
これから赤ちゃんを迎えるお母さんたちは、どうかご自分の「母乳で育てたい」という気持ちを大切にしてください。
そして、できることならラ・レーチェ・リーグのつどいに参加して「私は母乳で育てたいのです」と気持ちを表明してみてください。
リーダーさんはもちろんのこと、つどいに参加しているお母さんたちもその気持ちを全力で応援してくれるはずです。
どんな意見も決して否定されないラ・レーチェ・リーグのつどいという温かい場所で、気軽におしゃべりをしながら「母乳育児」という神秘的な体験をぜひ楽しみましょう。

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千葉県 しのはらさん

私は「母乳育児はとっても楽しいです♪」ということをお伝えしたいです。
おっぱいは、赤ちゃんにとって体の栄養であり、心の栄養でもあります。また私にとっても、子どもが静かにしていてくれる授乳中は息抜きタイムです(笑)
SNSを見ていると、母乳育児でつらい思いをされてきたお母さんの声が多くて胸が痛みます。これからお母さんになる方も、そういった書き込みを見ることが多いかもしれません。残念ながら、ほとんどの病院では、出産直後に母乳育児が軌道にのりやすいケアが実施されていないために、多くのお母さんが授乳で苦労することになってしまう現実があります。

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国の制度や、専門家の教育システムから変えていかないといけない問題なのですが、なかなかすぐにそういったことが変わるのは難しいです。ですので、ぜひ、赤ちゃんが生まれる前に、「楽ちんで幸せな母乳育児」について正確な情報を得ていただけたらと思います。母乳の仕組みや、あげ方を知っているだけで産後がグーンと楽になります! ラ・レーチェ・リーグのつどいでリーダーさんに聞いてみてください。病院では教えてもらえない、母乳育児の知識をたくさん教えてくれますよ。

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さまざまな母乳育児の経験

混合から母乳へ

奈良県 やまださん

長年の不妊治療でやっと宿ってくれた命。出産するには高齢になってしまったので妊娠中は、無事に出産までたどりつけるのか半信半疑の日々を過ごしていました。出産後の育児のこと、授乳のことまで気が回りませんでした。漠然と「母乳で育ててみたいけど、母乳が出るか出ないかは体質によるもの? 高齢だと出ないのでは?」と勝手に思っていました。

産後初めての授乳から、母乳を飲ませた後にミルクを足す混合育児がスタートしました。産院ではミルクの調乳、哺乳びんの消毒はすべてお任せです。授乳のポジションも助産師さんが授乳クッションや枕、布団を駆使して赤ちゃんが飲みやすい高さを調整してくれました。

退院後、産院とのギャップに苦しみました。授乳ポジションが全く定まらない、授乳後のミルクの調乳、哺乳びん等の消毒等の負担は苦行に思えました。母乳の分泌量を増やしたいが、増やし方が分からない。ミルクを減らしたいが子が水分不足、栄養不足にならないか。手しぼりで搾乳をしても、搾乳量が増えていなかったのでそもそも母乳は出ているのか、という不安でいっぱいでした。

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思うように授乳できないことが悲しくて、私が母乳にこだわることで子の成長を阻害してしまうのならいっそ母乳育児を諦めてしまおうかとも考えましたが、母乳育児が母子共にメリットがあることを調べると諦めきれませんでした。

1ヵ月健診の時、助産師さんに悩みを打ち明けたところラ・レーチェ・リーグを紹介していただきました。生後2ヵ月を過ぎたころにメールで相談、その後ZOOMやつどいで授乳のポジションや母乳の分泌量を増やすためにどうすればよいか等のアドバイスをいただきました。どんな悩みや相談事も否定されることなく、気持ちに寄り添ってじっくり話を聴いていただきました。新たな心配事が出ても毎月のつどいで解消され、相談するつもりをしていなかった悩み事まで上手く引き出してアドバイスしていただけました。
慣れない育児で、心身共にヘトヘトになっていましたが肩の力が少しずつ抜けてきたように感じます。

混合育児から母乳のみの育児に切り替えようとミルクの量を徐々に減らしていた頃をふりかえると、とにかく授乳回数を増やす。ミルクを足すならその分1回でも多く直接授乳することを心がけて過ごしました。外出先でうっかり授乳間隔が空いてしまい、乳腺炎にもなりました。母子手帳の成長曲線は身長体重共に帯の中には収まっているけど、横ばいで心配になりました。この時も、母子手帳の成長曲線は母乳やミルクで育つ赤ちゃんをひっくるめたグラフなので、母乳のみで育つ赤ちゃんのこの時期の成長曲線は母子手帳よりも緩やかであると教えていただき安心しました。

お陰様で、生後5ヵ月半にミルクを足さなくても大丈夫になり、苦痛で仕方なかった授乳は母子共にリラックスタイムに変わりました。外出する時の荷物が減り、出先で授乳するハードルも下がりました。もうすぐ生後10ヵ月、いまだに母乳が出ている実感は無いですが一時は横ばいだった成長曲線も6ヵ月頃から本来の位置に戻りました。このまま卒乳までのんびり母乳育児を続けたいと思います。

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しっかり飲めるようになりました

東京都 きやぶさん

私がラ・レーチェ・リーグを知ったのは、コロナウイルスの感染拡大による自粛要請で家に閉じこもっていた時期でした。 緊急事態宣言の発動時、娘は生後2週目でした。妊娠中は出産のことでいっぱいで、母乳のことは深く考えていなく、母乳は勝手に出てくるもので、簡単にあげられるものだと思っていました。しかし、退院して家に帰ってからというもの、毎回ラッチオン(乳房への吸着)が浅く感じ、また体重もうまく増えなかったことから、ひたすら動画や本を通して勉強しながら授乳する日々が始まりました。

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ただ、何度トライしても自分が思うように上手くいかず、そもそも正しく吸わせているのかどうかさえわからず、毎日不安でいっぱいになりました。平時なら助産師さんなどと対面で相談できるのに、自粛要請期間中でそれができず、どうすればいいのだろうと孤独感とも戦っていました。授乳のたびに母乳量を測っていましたが、だんだんと授乳を続けることさえ苦になっていきました。 そんな落ち込んでいた中、私に希望と安心をくれたのが、ネットで偶然にたどりついた「ラ・レーチェ・リーグ」でした。ビデオチャットを使ったオンラインのつどいでリーダーさんとお話しした際、授乳についてたくさんの励ましの言葉と貴重なアドバイスをいただきました。授乳しつづけて本当によかったと実感でき、母乳育児に自信がつきました。 それから半年後、今でもつどいに参加させていただき、母乳育児についてはもちろん、母親としての日々の悩みについて相談させていただいています。参加されているお母様からも、お子様へのこのうえない愛情が毎回伝わり、いつも励まされています。 あいにく、コロナウイルスで世の中はまだ不安定ですが、このような状況の中で娘が生まれてきくれたからこそ、ラ・レーチェ・リーグとのご縁があり、母乳育児がこんなにも好きになれたと思います。娘が授乳中チラッと私の方を見て笑ってくれるとき、今まで感じたことのない幸せな気分になります。

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再び乳房から飲めるようになりました

大阪府 まつおかさん

哺乳びんからしか飲めなかった赤ちゃんが、おっぱいを飲めるようになった体験談をお話しします。

おっぱいを飲めなくなったきっかけは産院で入院中にニップルシールド(乳頭保護器)を使ったことです。私は右の乳首がくぼんでいて赤ちゃんがうまく吸いつくことができず、シールドを使うことを助産師さんから勧められました。左の乳首を吸わせて、右のシールドを吸わせて…と交互に繰り返しているうちに赤ちゃんが混乱してしまったようです。「なんだかシールドの方をうれしそうに吸っている…?」と気づいたころには遅く、私のおっぱいを近づけると泣いてしまうようになりました。

退院してからも哺乳びんからしか飲むことができませんでした。なんとかおっぱいを飲んでもらえるようにさまざまな試行錯誤がスタートしました。幸運にも私の母がラ・レーチェ・リーグのリーダーを務めており、たくさんのアドバイスをくれました。

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おっぱいを吸ってもらうには色んな方法があり、母は何パターンも教えてくれました。その中で私に合っていたのは、乳首に母乳やミルクを垂らして「こっちに美味しいものがあるよ~」と赤ちゃんを誘導する作戦でした。そこに赤ちゃんの顔を近づけて大きく口を開けたタイミングでハムッとくわえさせる。赤ちゃんが吸ってくれました! 私がうれしかったのはもちろん、赤ちゃんの幸せそうな顔を見てやっぱり母乳育児をしたいと改めて思いました。

ただ喜んだのも束の間、吸いついてくれるのは運がよいときだけで、うまくいかないときはまた何日間か吸ってくれないこともありました。「やっぱりおっぱいはもう飲んでくれないのかな…」と思うと辛くてしかたありませんでした。子どもが成長するにつれて焦るような思いもありました。

「抱っこをしている時間=授乳の練習=泣いている時間」ということが1ヵ月ほど続き、最近笑顔で抱っこしていないなと気づきました。幸せになりたいから頑張っているのになんだかおかしい…と思い、私は無理に練習することをやめました。ゆったりと座り赤ちゃんを胸に抱き、服は開けておいて赤ちゃんがおっぱいの上で自由に過ごせるようにしました。お昼寝をしてもらったり、おっぱいを赤ちゃんのほっぺに当てて遊んでみました。それから「あなたのことを愛しているよ」ということを伝え続けました。そうしているうちにお互いに笑顔で過ごせるようになり、赤ちゃんがおっぱいを楽しそうになめて遊ぶようになりました。

1週間ほどそんな風に過ごしていると、赤ちゃんが自分の意志でハムッと吸いついてきました。私は驚きました。それからはどんどん上達して何の問題もなく飲めるようになりました。私の赤ちゃんの場合ですが、吸い方を誰かに教わるのではなく自分でなめたり観察して学びたかったのだと思います。その環境をゆったりのんびりと与えられたのが、うまくいった要因です。赤ちゃんの様子をよく見て、どうしたいか一緒に相談したのがよかったようです。

母乳育児の悩みは繊細で、お母さんと赤ちゃんの数だけ百人百様だと思います。ラ・レーチェ・リーグは傷ついた心に優しく寄り添ってくれます。サポートしてくれた母に心から感謝しています。

ここからは余談です。形がよくないと言われていた右の乳首も、今では上手に吸うことができています。赤ちゃんに吸ってもらっているうちに、つんと尖った吸いやすい形に変わっていきました。母子ってすごいものだな~と感心します。

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赤ちゃんのサインに合わせた離乳食

群馬県 こばやしさん

準備が楽で、片付けも楽です。 お粥や、裏ごししたものよりも服も汚れません。

食事の時間に、手づかみできる食べ物を赤ちゃんの前に置けば、機嫌よく遊んでくれるので、自分や他の家族もゆっくりご飯が食べられます。 6カ月ころから始めて、10日くらいは皿や食べ物で遊ぶだけでしたが、最近(もうすぐ7カ月)は口に持っていってハムハムします。
家族と一緒にテーブルを囲むことが、とてもうれしそうです。
一人目の子どもの時は、一生懸命お粥や、ペースト状のものを時間をかけて作っても、子どもは一口だけとか、あまり食べず…すぐ泣いて終了でした…。
なので、こんなにも違っていて驚いています。

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10カ月になり、2本目の歯がようやく生えてきました。しらすなどの小さなものもつまめるようになりました。お肉は挽き肉もつまめるようになりましたが、挽き肉は口に入れてもポロポロ出します。
手羽中はいまも気に入ってしゃぶりつきます。味噌汁を作る時に一緒に茹でたり、トマト煮込みを作る時に一緒に煮たものです。むせることもありますが、様子を見ていると、むせ終わると、本人は全く気にしない様子でまた食べ始めます。気がつくと、身がほとんど無くなっていることもあります。きれいに平らげたなぁ~と思ったら、床に肉の塊がたくさん落ちていることもあります。
口の中でいつまでもカミカミして、後からショボショボになった肉の欠片が出てくることもあるので、ご飯の後はなるべく口の中の確認をしています。
最近は「べぇ~して」と言うと、口の中に残ったものも出せるようになりました。
ほとんど食べていなくても、まるで上手に平らげたように見えるところも面白いところです。

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働きながらの母乳育児

東京都 かわむらさん

4月生まれの息子が1歳になる直前に仕事復帰をしました。
産後からひとときも離れず一緒に過ごしていた息子と長時間離れ離れになる寂しさはもちろん、保育園入園時になってもほとんど離乳食が進んでいなく母乳ばかり飲んでいたことや、抱っこや授乳をしながらでないとうまくお昼寝できなかったことなど、息子の生活面にも不安があり、わが子が新生活に適応できるのだろうかと、復帰直前はかなりナーバスになっていたことを今も覚えています。

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入園前の面談で、離乳食が進んでいないことを担当の先生に伝えると、「園で何も飲み食いできなかった時はミルクを飲ませますか?」と聞かれました。産後からずっと私の母乳が分泌過多気味で、乳腺炎などのトラブルを防ぐためにも、ミルクを飲ませたことがなかったこともあり、ミルクを飲ませる練習を1歳直前から始めるなら、ご飯を食べることに親しんでもらいたいと考えて、その旨を先生に伝えてみました。
幸いにも、先生は私の要望を受け入れてくれ、「まずはご飯を食べられるようになることを第一にがんばります。水分すら摂取できないようなことがあったら、冷凍母乳を受け入れることもできるので、そのときにまた対応を相談させてください」と言ってくれたので安心することができました。
授乳のこと、睡眠のことも含めて、入園後にも担任の先生が「家では家の過ごし方のリズム、保育園では保育園の過ごし方のリズムが自然とつくから、お家で何かに無理に取り組んだりしなくても、息子さんのニーズに合わせていて大丈夫ですよ」と言ってくれて、非常に心強く感じました。先生の言葉どおり、息子はすぐに保育園の生活に適応し、ご飯をもりもりと食べ、スムーズにお昼寝ができるようになりました。

入園以降、息子にとって母乳は栄養を摂取する手段から甘える手段に代わったようです。毎日帰宅するとすぐに授乳をしました。LLLのつどいで得ていた情報のとおり、授乳をすると落ち着いてくれますし、私も息子とのコミュニケーションが取れて満たされるので、その後の夕飯の支度にスムーズに移行できて、よいルーティーンになりました。また、息子は入園直後に洗礼のように何度も感染症にかかり、体調を崩しましたが、食欲がない時でも母乳は飲めたので、その際も母乳のありがたみを強く感じました。

分泌過多で悩んでいた母乳も、生活に合わせた生産量となってくれたようで、復職してからの母乳育児が私にとってはもっとも快適で心地よく、その価値を強く感じられるものになりました。
「働きながら母乳育児をする」というと、何だか大変で壮大なことのように感じられますが、私が保育園の先生にアドバイスしてもらったように、特別なことは何もしなくてもいいのです。母乳が新生活を満たす便利なツールになるということが、より多くのお母さんに伝わってほしいなと思います。

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さまざまな状況の中でも

北海道 えちごさん

初めて妊娠し、出産を経て子育てに奮闘していると、ふと孤独や孤立感を感じることがあるかと思います。私には、ダウン症の娘(現在小学3年生)を含む3人の子どもがおりますが、初めての子どもである現在高校2年生の長男を妊娠中にラ・レーチェ・リーグのことを知り、産前産後足しげくつどいに通いました。自分の話を聞いてもらい、先輩お母さんたちの経験談を聞かせてもらうだけで気持ちがラクになり、安心できました。一人じゃないと思えました。3年後に現在中学2年生の次男を出産後、強い黄疸が出て転院になったときも、ラ・レーチェ・リーグで適切な支援を得て、母乳育児を断念せずにすみました。

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さらに5年後、ダウン症児の娘を授かったときも、ラ・レーチェ・リーグから適切な情報を得ることができ、おかげさまで次男も長女も、病院では一時ミルクのお世話にはなりましたが、3人とも自宅では母乳育児を続けることができました。その後、介護や仕事復帰、ボランティア活動や子育て支援活動、家族の病気や起業なども経験しましたが、どんなときも、一人で問題を抱え込まず、一人で悩まずに、少し先ゆく人生の先輩に話を聞いてもらうこと、そして経験談を分かち合うことから自分が気づき行動していくことの大切さを実感しています。

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災害時

群馬県 にわのさん

2歳差の姉妹のタンデム授乳(きょうだい同時期授乳)をして、もう3年になります。長女は5歳、次女は3歳になりました。半ば呆れている周囲の雰囲気も感じつつ、私も「いい加減、やめてくれないかな」と思いながら半分惰性のように授乳をしていました。

そんな中、授乳によって私自身が救われているのを知ったのは、今年の東日本大震災の時でした。私たちの住む地域は津波や家屋の倒壊などの大きな被害こそなかったものの、3月11日に襲ってきた強い揺れ、連日連夜の余震、テレビから流れる凄惨な映像、原発事故による放射能の恐怖。小さい子どもを抱えてどうしたらいいのか、その不安に眠れない夜が続きました。

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しかし、眠れない日の中でも両脇に子どもの暖かい温もりを感じながら授乳をしているうちに、私も安心感を得、だんだんとではありますが、眠れる夜を取り戻していきました。そして、それは2人の娘も同じだったようです。3月半ばは、不安からなのか夜中に起きる回数も多かったのですが、次第に夜を通して寝るようになり、朝まで3人でぐっすり…という日も多くなりました。

2歳過ぎてからの母乳育児、まだ世間にそのメリットが広まってはいないようですが、育児が大変な時にこそ長く授乳していてよかったと、私は感じています。

 何かいやなことがあったときには普段より早くおっぱいを求めてくる5歳の長女に「おっぱいって、どんななの?」と聞きました。「甘くて、あったかくて、飲むと元気!(←ガッツポーズ)になる」という答えが笑顔で返ってきました。

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「つどい」で経験談を聞こう

授乳の経験は十人十色。「つどい」に参加して、さまざまな経験を直接聞くうちに、「自分たちなりでいいんだ」「私だけじゃないんだ」と感じて楽になった、ヒントが見つかった、という人がたくさんいます。
「つどい」では、あなたの今の悩みも気軽に相談できます。


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授乳にまつわるあなたの経験を、これから育児が始まるお母さんに届けませんか。

「こんなことがよかったよ」
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「こんな経験をしたの」
妊娠中から卒乳まで、そしてその後も。
母乳育児があなたと家族の生活にどんなことをもたらしたか、教えてください。