今、「完全母乳」という言葉が一般に広まっています。この言葉は、英語のExclusive breastfeeding(乳児用ミルクなどを一切使わずに母乳だけで育てていること)から来ているようです。生まれてから母乳だけを飲んでいる赤ちゃんが特定の病気にかかりにくいかどうかを調べる医学研究では、その赤ちゃんが乳児用ミルク、糖水、果汁など、母乳以外のものを飲んでいないかを確認します。そのための専門用語として使われているExclusive breastfeedingには、本来、完全とかパーフェクトという意味合いはまったくありません。一方、日本語の「完全母乳」には、少しでも欠けてはならない、というニュアンスを感じて、プレッシャーやつらい気持ちを感じる人がいるのではないでしょうか。
さまざまな理由で乳児用ミルクを併用している場合、母乳を飲ませ続けることで、健康への恩恵は大きくなります。母乳中にある免疫物質は、赤ちゃんの免疫機能を刺激してさらに多くの免疫物質を作るので、母乳をやめたあとでも、その子をずっと守り続けます。小さじ1杯の母乳には菌を殺す細胞が300万も入っているといわれています。ですから1日にほんの少しの母乳を飲むだけでも、それは赤ちゃんにとって貴重な役割を果たします。たとえ1回でも母乳を飲むことができたら、それは赤ちゃんにとってかけがえのない母乳育児です。あるいは医学的な理由があって、一度も母乳を与えない選択をしたとしたら、それもまた、お母さんと赤ちゃんの健康にとって最適な選択をしている、と胸を張っていえることです。
母乳育児を取り巻く状況は、一人ひとり異なります。出産前後、母乳育児がしやすい環境や適切な支援・情報が得られたかどうか。その後も継続してサポートを得られたかどうか。医学的な理由があったり、想定外のトラブルに見舞われたりすることもあるでしょう。
何よりも、母乳育児は生活の中にある営みです。家族のさまざまな状況の中での、試行錯誤の積み重ねです。そんな営みである育児に、「完全」という言葉はそぐわないのではないでしょうか。母乳育児は、「完全母乳」もしくはそれ以外、というような二者択一ではありませんし、たった一つだけの正解があるようなものでもありません。ですから、私たちラ・レーチェ・リーグでは、「完全母乳(完母)」という言葉を使いません。
ラ・レーチェ・リーグが各地で開いている「つどい」では、母乳育児に関することをテーマにさまざまなことが話し合われています。 そこでは、母乳だけで育てているかどうかにかかわらず、さまざまな状況のお母さんどうしが、それぞれの経験を分かち合い、励まし合っています。
「赤ちゃんに母乳をあげたい、できれば母乳で育てたい」。多くのお母さんが、そのように感じています。2016年8月に厚生労働省が公表した「乳幼児栄養調査」によれば、日本では、妊娠中の93%以上のお母さんが母乳で育てることを希望しています。世界保健機関(WHO)では、科学的根拠に基づき、生まれ育つ国や家庭の経済的な環境にかかわらず、生後半年までは母乳だけ、そしてその後は栄養を補完する食べ物をあげながら2歳かそれ以上まで母乳育児を続けることを推奨しています。また、近年のさまざまな研究からは、一生のうちで飲んだ母乳の量が、健康と発達に影響することも明らかになってきました。そのような情報を得て、わが子の健康のためにできる限りのことをしてあげたい、と感じるのはごく自然なことでしょう。また、そういった情報の有無にかかわらず、体の中から湧いてくる思いとして、母乳で育てたいと感じるお母さんも多くおられることでしょう。
一方、今の日本の社会は、お母さんがたやすくそれを実現できる状況にあるとはいえません。例えば、母乳育児の助けとなる「出産前からほかのお母さんの母乳育児の様子を見て学ぶこと」「出産直後からお母さんと赤ちゃんが一緒に過ごして、赤ちゃんが欲しがるときに欲しがるだけ授乳すること」「職場に復帰しても母乳育児を続けられるように職場や保育園で支援されること」。そういった環境が得られないことも多いですし、何か困難があったときに、母乳育児について適切な情報に基づいた支援を得られないことも多いのです。
母乳育児をする中では、時に、困ったり悩んだりすることもあるでしょう。母乳育児中に困難にであうとき、お母さんは、しばしば「母乳にこだわらないで」といわれます。「こだわる」には、「些細なことにとらわれる(『広辞苑』第6版 岩波書店より)」という意味があります。母乳だけで育てたいと願っているお母さんにとって、母乳だけで育てるかどうかは、多くの場合、「些細なこと」ではなく「大切なこと」です。「赤ちゃんのために重要だと感じて、最適なことをしたいと願っているのだ」という気持ちを、まずは認められること。そして、自分にとって大切なことが「できないかもしれない」と落胆や不安を感じていることが受けとめられ、適切な情報と支援につながること。お母さんにとっては、それが何よりの助けとなることでしょう。
ほかのさまざまな困難がそうであるように、母乳育児中にであう困難にも、多くの場合、乗り越える方法やコツがあるものです。そのための情報が広く社会に共有され、必要なお母さんに容易に届くようになることも、また、さまざまな場面でお母さんの助けとなります。「母乳で育てるべき」あるいは「母乳にこだわるべきではない」ということではなく、母乳で育てたいと望むお母さんが母乳で育てられるように、環境を整備し、困難を乗り越えるための情報を共有することに尽力する、そんな社会であることを願います。
それぞれの気持ちと状況に寄り添ったサポート、そして適切な情報が得られれば、お母さんは、自分と赤ちゃんと家族の今にとって最適な答えを、自信を持って選び取っていかれることでしょう。その選択は、一人ひとり違います。その選択が尊重されること、そして、お母さんが自分らしい子育てを楽しんでいかれることを願い、私たちは、支援の活動を続けています。
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母乳を飲む赤ちゃん、ミルクを飲む赤ちゃん、母乳とミルクを飲む赤ちゃん。すべての赤ちゃんの健康を守るために、日本を含む世界中の多くの国が約束したことがあります。赤ちゃんの命にかかわる製品の宣伝や販売促進を規制し、安全に使えるようにするための約束、WHOの「母乳代用品のマーケティングに関する国際規準」です。